11月26日に「フィリピンの伝統ダンス&トークの集い」を実施しました。

熊本大学院薬学部の博士課程で研究中のイエブさんの、祖国愛が溢れる歴史トークに感動しました。

フィリピンの歴史は、植民地の歴史と言っていいいほどなんですねー

そして、それには日本も汚点を残しています。

しかしながら、今ではお互いに重要な貿易相手国です。JAICAの援助も喜ばれています。

これからも交流を促進し、二度と悲しい時代が来ない様に願いたいものです。

トークの後は、伝統的な「竹ダンス」を楽しみました。簡単そうで、難しかったですが、皆さん喜んで体験されてました。

当日は、3人のフィリピン女性の御参加もあり、グンと国際色が上がりました。皆さん、リズム感がバッチリでした。

1 フィリピンの歴史をタイムラインにしてみると、、 2 スペイン領土となる前は、原住民が各部族に分かれ、自然と共に暮らしていた
3 小学校の社会でも習ったマゼラン軍団がスペインからやって来たが、原住民の勇者ラプラプに殺され、征服はならなかった 4 1565年に第2軍がスペインからやって来た。今度は武力ではなく、交渉で征服に成功。当時のスペイン国王「フェリペ」から名前を取って、「フィリピンと名付けられた。
5 スペイン領土となってから、虐待が続く。抗議本を出版した医者は公開処刑される。しかし、独立運動は続いた。  6 やっとスペインからの独立を果たしたが、次はアメリカの植民地となる。しかし、アメリカはインフラ整備や教育などを充実させ、今でもフィリピン国民から評価されている。
 7 1942年になると、日本軍が攻め入って来る。マッカーサーが、”I shall return.”と言って、やむなくアメリカに撤退した話は、あまりに有名。
日本軍はアメリカ軍やフィリピン軍捕虜を、過酷な状況で、112キロも歩かせた。約18,650人の兵士が死亡し、「死の行進」と呼ばれた。



 

 

8  世界でも最悪の汚職政権が続いた。マルコス大統領の妻イメルダも贅沢三昧をしていた。彼女の靴は博物館で展示されている。
9 日本とフィリピンは、今ではお互いに需要な貿易相手国である。JAICAの援助も高く評価されている。過去の悲しい歴史を乗り越え、これからもより良い関係を築いて行きたい